兼六園を120%楽しむ!『六勝』完全攻略!

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水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園のひとつである兼六園。

金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として人気のスポットです。

世界的評価も高く、ミシュランの旅行ガイドでは最高ランクの3つ星を獲得しています。

ではそんな兼六園のどこが名園とされていて、どこが世界的に認められているのでしょうか?

兼六園は庭園では兼ね備えることが難しい、素晴らしい6つの景色(六勝)を兼ね備えていることから「兼六園」と命名され、その『六勝』が素晴らしいんです!

知っているだけで兼六園を120%楽しめる『六勝』を徹底解説します!

目次

優れた景観の代名詞『六勝』

宋時代の書物「洛陽名園記(らくようめいえんき)」に、素晴らしい庭園は6つの景色を共存させていると書かれていました。

『庭園では6つの優れた景観を兼ね備えることはできない。
広々とした様子(宏大)を表そうとすれば、
静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってしまう。
人の手が加わったところ(人力)には、
古びた趣(蒼古)が乏しい。
また滝や池など(水泉)を多くすれば、
遠くを眺める(眺望)ことができない。』
そして
『この6つの景観が共存しているのは湖園だけだ』
と文章が結ばれます。

本来併せ持つことが難しい2つの要素が充たされて、さらに3組も兼ね備わっている

兼六園はこの湖園に似つかわしく、六勝を兼ね備えているという理由からその名を与えられたのです。

宏大 ⇔ 幽邃

『宏大(こうだい)』『幽邃(ゆうすい)』は相反する意味を持ち、広々としたところは明るく開放的であり、静寂と奥深さを感じることはできないということです。

兼六園は2つのエリアに分けられ、ひとつは霞ヶ池のあたりの“千歳台(ちとせだい)”、もうひとつは瓢池のあたりの“蓮池庭(れんちてい)”です。

千歳台はネットや雑誌でよく見る兼六園のシンボル・霞ヶ池ことじ灯籠があり、人々でにぎわい、広々と見通しが利き、明るさを感じます。

一方、瓢池がある蓮池庭は千歳台よりも鬱蒼と木々が生い茂り、人里離れた奥深い自然を彷彿とさせ、神秘的な奥ゆかさを感じます。

本来ならどちらか一方に偏る雰囲気をエリアを分けることで共存させているのです。

人力 ⇔ 蒼古

『人力(じんりょく)』『蒼古(そうこ)』も矛盾する要素で、人の手が加われば自然は失われてしまうものです。

高台に用水から水を引き曲水(小川)をまわし、大きな池を掘り、その堀った土で山を築き、滝を組む…。

園内には人の技術によってできた美しい景色がたくさんあります。

しかし同時にそのどれもが、まるで人の手が加わったとは思えないほどにさびた趣を感じさせるのです。

地形の良さを生かし、天然の景観を損ねないように巧みに人の手が加えられているのです。

人の手でつくられたがどこか趣を感じる

水泉 ⇔ 眺望

『水泉(すいせん)』『眺望(ちょうぼう)』も共存させることが難しい要素。

水は山間や谷底など低いところを流れるため、水と戯れながら眺めを楽しむことはなかなかできません

しかし兼六園では同時にどちらも楽しむことができます。

栄螺山からの眺望(現在は地震の影響で栄螺山は立ち入り禁止)

兼六園は金沢市内中心部の高台にありますが、どうして水泉と眺望を共存させることができているのでしょうか

それは日本四大用水のひとつ、辰巳用水(たつみようすい)のおかげなんです。

今から370年も前に手掘りでつくられた水路で、兼六園から10km離れた犀川の上流から水を取り入れ、兼六園まで引かれているのです。

動力ポンプのない時代に、優れた眺望の高台に水を引くことで水泉と眺望を兼ね備え現在でも当時の姿で機能し続けている、実はこれこそが他の庭園が真似できない兼六園の最大の特徴です。

栄螺山から見る霞ヶ池と夜景

また兼六園の水を生かした庭園づくりは大規模で、他の庭園には見られない工夫がされています。

水の動きを流水(曲水)、湛水(池)、落水(滝)、湧水(噴水)というかたちにし、それを組み合わせることで園内の隅々まで心を揺さぶるような美しい景色を作り出しているのです。

水を使った美しい景色

兼六園では六勝を探してみてね!

この記事に掲載した写真の撮影場所と撮影日をまとめます。

スクロールできます

①栄螺山から

2024年1月7日

②霞ヶ池とことじ灯籠

2024年1月7日

③瓢池の三好庵

2024年1月7日

④千歳台

2024年1月7日

⑤黄門橋

2024年5月12日

⑥翠滝

2024年5月12日

⑦千歳橋から見る曲水

2024年4月21日

⑧内橋亭

2024年4月29日

⑨栄螺山から見る霞ヶ池

2024年1月7日

⑩親不知から見る霞ヶ池

2024年4月29日

⑪板橋から見る曲水

2024年4月21日

⑫千歳台から見る唐崎松

2024年1月7日

兼六園の歴史

5代藩主から作庭がはじまり、14代まで歴代藩主が約180年かけて現在の姿につくられました。

1676年(延宝4年)

5代藩主・綱紀が金沢城に面する傾斜地にあった作事所を城内に移した跡地に自分の別荘を建て、その周りを庭園化させたのが始まり(蓮池庭)。

当時は来藩した客人などの接待や楓や紅葉を鑑賞する観楓会など風流な遊びを楽しむ場として活用されました。

1759年(宝暦9年)

大火で蓮池庭のほとんどが消失。

1774年(安永3年)

11代藩主・治修が再建に着手。

翠滝、夕顔亭を造営。

1776年(安永5年)

内橋亭を造営。

1792年(寛政四年)

藩校「明倫堂(めいりんどう)」と「経武館(けいぶかん)」を千歳台に創建。

1822年(文政五年)

12代藩主・斉広が藩校を移転させ、その跡地に自己の隠居所「竹沢御殿」を造営。

同年 奥州白川藩主の松平定信によって兼六園と命名される。

1851年(嘉永4年)

13代藩主・斉泰によって竹沢御殿が取り壊される。

霞ヶ池を広げる、姿の良い木を植えるなどして庭を拡張・整備。

1860年(万延元年)

蓮池庭との間にあった門と塀を壊して一大庭園とする。

1863年(文久3年)

巽御殿(現在の成巽閣)を造営。

1874年(明治7年)

長らく殿様の私庭として非公開だったが全面的に市民へ開放。

2024年でちょうど150周年となる。

1880年(明治13年)

西南戦争における戦死者を慰霊するため「明治紀念之標」を建立。

1922年(大正11年)

国の名勝に指定される。

1985年(昭和60年)

名勝から“庭の国宝”特別名勝へと格上げ。

2002年(平成12年)

「時雨亭」「舟之御亭」が再現される。

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この記事を書いた人

金沢が好きすぎて移住しちゃった夫婦が金沢の魅力を発信するアカウント🤩
◾︎金沢に来たら絶対に行ってほしいスポットと食べてほしいグルメご紹介💁‍♀️
◾︎金沢旅行の参考にしてね🌟
◾︎移住して1年経過~金沢大満喫中‼💕
 知れば知るほど、金沢ってイイところ😊

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